グレイシャス徳島滞在記
  
 グレイシャスが突然徳島にやって来たことは、グレ通信11号(前号)でお伝えしたとおりです。夫ポーキー氏が心筋梗塞で急死したのは3年前。その後夫の遺志を継 ぎ、施設の維持運営に一人で取り組んできた彼女の苦労は、誰の目にも痛々しいほどでした。夏にマザブカ(彼女の施設があるところ)を訪れた日本人が「体調があまり よくないようだ。」と教えてくれました。アフリカ各地で医療活動経験があり常にグレ会の相談役である吉田修さんを中心に、彼女を日本に呼んで休養してもらおうという計画が持ち上がりました。 「私たちは3年前、ザンビアの将来にとって無くてはならない人=ポーキーを失った。電気も水も十分にない開墾中の村で倒れた彼を、日本の私たちは救うことができなかった。今もしまた、グレイシャスの身になにかあれば・・・。私たちはザンビアにとって大事な人を、2度失うわけにはいかない。」吉田さんのこの言葉で、グレイシャスに徳島に来て静養してもらうことが決まりました。 
  
 9月2日、徳島着。麻植郡山川町の吉田さん宅に滞在。生まれて初めて海に足を浸けたり、阿波踊り会館で阿波踊りを踊ったり、眉山から徳島市を眺めたりしました。ザンビアには海も山もありません。彼女は徳島をとても美しいところだと、気に入ってくれました。 
  
 また、鳴門教育大学附属幼稚園のお月見の茶会にも出席しました。茶会会場の上座には、ススキなど秋の花々を飾り農作物をお供えし、収穫の喜びと感謝が表現されていました。その日たまたまラオスからもお客様がいらしており、お茶を点ててくれた先生(=グレイシャスの会の新田さん)の「ザンビアからのお客様とラオスからのお客様とが、このお席で同じ時間を過ごされお茶をご一緒されるということは、きっとこれが最初で最後でしょう。また、こうやって幼稚園のみなさんとこのお客様方がご一緒するということも、そうかもしれません。だからこそ、この時間を大切なものと考えましょうね。ここにいるみんなで、精一杯楽しい時間を過ごしましょうね。それ を難しい言葉で『一期一会』といいます。」というお話に、グレイシャスもうなずいているようでした。(とても上手に通訳して下さる方がいらっしゃいました。) 

 
鳴門教育大学附属幼稚園の「お月見茶会」に参加して 

 9月11日には、軽い健康診断を受けましたが、異常ありませんでした。みなさん安心してください。異常がないことに一番喜んだのは、もちろんグレイシャス本人でした。そうと判った途端、急に、国に残して来た子ども達や施設のことが気になりだし、すぐにでも帰りたいと言い出しました。日本に来て10日。無理もないことでした。 

9月15日、グレ会のメンバーとグレイシャスが一緒に食事をしました。これについては、前号でみなさんにお知らせした通りの内容で行いました。参加者は14人。あいにくの暴風雨でしたが、遠くは阿南市から参加してくださった方もいました。(表紙写真) 
 「こんなに控え目で穏やかな女性だとは思わなかった。本当にこの人が大きな施設を一人で運営しているのかと、ちょっと意外だったが、握手をしてよくわかった。彼女の手は男の人のようにごつくて、労働者の手だった。」参加者の一人が後に、彼女に関してこのような感想を語って下さいました。 

 9月18日、彼女は関西空港から飛行機に乗ってザンビアへ帰っていきました。グレイシャスが日本に来られるように渡航手続き一切を快く引き受けて下さったザンビアSCDPのみなさん、滞在中のお世話をして下さったみなさん、訪問先で親切に接して下さったみなさん。彼女が感謝をしながら日本に来、感謝をしながら滞在し、そして感謝をしながら帰って行ったことをお伝えして、みなさんへのお礼の言葉に換えさせていただきます。 

 グレイシャスからみなさんに宛てた手紙を、預かっています。掲載しますのでご覧下さい。 

 ありがとうございました。