とどけザンビアへ

 〜城東小学校 ザンビア実行委員会 奮戦記〜     新田 のり子

 1999年12月、徳島市立城東小学校全校集会でザンビアについての話をさせてもらいました。1年生から6年生まで約800人が理解できそうな話をということで、ザンビアの家や、動物や、食べ物や、服装のことから始まって、グレイシャスさんの施設のこと、栄養失調で亡くなった子どものことなどを話しました。 その集会の後、さらに6年生だけを対象に話をしました。そこでは、なぜ子ども達が5歳になるまでにたくさん亡くなってしまうのか、なぜ学校へ行けない子どもがたくさん居るのか、などのザンビアの厳しい状況を知ってもらったり、そんな中でグレイシャスさんの施設がどれだけ周りの人々を救い希望となっているかを説明したりしました。そして、「私達一人一人は何をすべきか」を考えられる人になって欲しいと伝えました。6年生にとっては、ザンビアに、水くみで1日が過ぎてしまう子どもやエイズや栄養失調で亡くなる子どもがたくさんいることがショックだったようでした。 
 2・3日後には、「ザンビアの子どものために、少しでも役にたちたい。」という声があがりました。そして、30数人が自発的に集まって”ザンビア実行委員会”を結成するという思いがけない展開になりました。担任の先生方の助言もあったとは思いますが、彼ら・彼女らの「同じ子どもなのに不公平」「何かしなくちゃいけない」という声に、その正義感や素直な優しい気持ちが表れていて、こちらが感激させられ 
てしまいました。 
 結成された委員会ではさっそく、“何をすればザンビアの子どもが喜んでくれるか”を考えていました。そして、グレイシャスさんの施設には何歳くらいの子どもがいるか?という事から考えて、お絵かきノートやマジック・クレヨン等を送ることに決定したそうです。「文房具を送ることにしたが、それで良いだろうか?」との相談を受け、私は「遠い国なので20?までの荷物で約10,000円輸送費がかかるんですよ。」と伝えました。そのことを考慮して、結局全校生徒に募っていた募金から、10,000円は輸送費に、10,000円はグレイシャスさんにプレゼントとして送ることに決めました。そして2000年1月末、たくさん集まった文房具の仕分けと発送の準備作業が行われました。“ザンビアの子どもが、もらって嬉しいと思えるものを贈ろう”との基準で、真剣に手際よく仕分けされていきました。新品のマジックの包みを開いて、ばらばらにしている生徒がいたので、私が「どうしてそのまま送らないの?」と聞くと、「もし描けなかったらザンビアの子ががっかりするけん、今から描けるかどうかためすんじゃ。」という答え。相手がどう思うか、その人の立場に立って考え気配りする姿に、胸がいっぱいになりました。 
         
 こうして、文房具を詰め、重さを20?弱に調整されたダンボール箱(かなり念入りに補強した)が完成しました。その中に、自分たち実行委員会の写真や、寄せ書き(アルファベットや漢字で自分の名前を書いたり、絵を描いたりした物)を同封し、私からも事の成り行きを説明した手紙を入れて、近所の郵便局から2月9日に発送しました。重い荷物を、郵便局の方に手渡し『よろしくお願いします。』と頼む6年生 
の顔は少し成長したように見えました。 
  アフリカに渡った文房具は、5月13日、SCDP(=ザンビアの首都ルサカで日本人が運営しているNGO)に無事到着し、そこの人たちによってグレイシャスさんの所に届けられました。そして6月6日には、グレイシャスさんから、ていねいなお礼の手紙が届きました。このことを、今は小学校を卒業した子ども達に、どう伝えようかと考えているところです。(おわり) 
        
 
〈文房具の仕分け作業をする城東小学校ザンビア実行委員会〉 
 

 
〈体重計にのせて荷物の重さを20キロ弱に調整しているところ〉 
 

 
〈僕たち私たちのおもい、とどけザンビアへ!〉